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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)10109号 判決 1991年3月28日

原告

濱野實

ほか一名

被告

長渡宏行

主文

一  被告は、原告濱野實に対し、金一八五三万二三〇五円及びこれに対する昭和六一年三月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告日産火災海上保険株式会社に対し、金一二三万七五〇〇円、及び内金一二三万二八二五円に対する昭和六一年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員、内金四六七五円に対する昭和六三年九月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告濱野實について生じた費用の四分の三と被告に生じた費用の一〇分の七を原告濱野實の負担とし、原告日産火災海上保険株式会社に生じた費用の七分の三と被告に生じた費用の二〇〇分の三を原告日産火災海上保険株式会社の負担とし、その余を被告の負担とする。

五  この判決は、第一項及び第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告濱野實に対し、金七五三三万三八六〇円及びこれに対する昭和六一年三月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告日産火災海上保険株式会社に対し、金二四五万円及びこれに対する昭和六一年六月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和六一年三月二三日午後一一時四〇分ころ

(二) 場所 大阪市阿倍野区昭和町三丁目四番二七号先路上(交差点、以下、「本件事故現場」という。)

(三) 加害車 普通乗用自動車(泉五八や二二八〇号)

右運転者 被告

(四) 被害車 普通乗用自動車(なにわ三三さ五二四六号

右運転者 原告濱野實(以下、「原告濱野」という。)

(五) 態様 本件事故現場の交差点(以下、「本件交差点」という。)を南から東へ右折中の被害車に、北から南に直進中の加害車が衝突した(以下、「本件事故」という。)。

2  責任

(一) 被告は、加害車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたから、自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)三条に基づき、本件事故によつて生じた人的損害を賠償する責任がある。

(二) 被告は、最高速度が時速四〇キロメートルに規制された本件事故現場を時速一三〇キロメートルの速度で進行し、かつ、前方を注視しないまま本件事故交差点に進入した過失によつて本件事故を発生させたから、民法七〇九条に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

3  損害

(一) 原告濱野の受傷内容、治療経過及び後遺障害

(1) 原告濱野は、本件事故により、脳挫傷、硬膜外・硬膜下血腫、頭蓋底骨折、下顎骨骨折、第七頸椎椎体骨折等の傷害を負い、次のとおり入通院した。

ア 大阪府立病院

<1> 昭和六一年三月二四日から同年五月二一日まで入院(五九日間)

<2> 昭和六一年三月三一日から同六二年八月五日まで耳鼻科に通院(実通院日数三四日)

<3> 昭和六一年三月三一日から同六二年八月一三日まで眼科に通院(実通院日数一八日)

イ 越川整形外科病院

<1> 昭和六一年五月二二日から同年八月二二日まで入院(九三日間)

<2> 昭和六一年八月二三日から同年一二月二三日まで通院(実通院日数六五日)

(2) 原告濱野は、前記の治療を受けたのち、更に、湖崎眼科において麻痺性内斜視に対する手術を受けたが、結局、<1>視力障害(矯正視力、右眼〇・五、左眼〇・三)、<2>両眼の外転障害、<3>内斜視(正面視)、<4>眼球運動障害による調節機能の著しい低下、<5>視的認知領域の制限、<6>左眼の閉眼障害、<7>左側の顔面神経麻痺の後遺障害が残存し、症状が固定した。

右後遺障害のうち、<1>は、自賠法施行令第二条別表後遺障害別等級表(以下、「後遺障害等級表」という。)の九級一号、<2>ないし<5>は、一一級一号、<6>及び<7>は、一二級一二号にそれぞれ該当し、併合して八級に該当するものである。

(二) 損害額

(1) 原告濱野の損害

ア 治療費 九七万二一四〇円

イ 入院雑費 一九万七六〇〇円

原告濱野は、前記のとおり、大阪府立病院及び越川整形外科病院入院中の一五二日間に一日あたり一三〇〇円、合計一九万七六〇〇円を下らない雑費を要した。

ウ 入院付添費 二六万一〇〇〇円

原告濱野は、越川整形外科病院入院中の五八日間、付添い看護を必要とし、右期間近親者が付添つて原告濱野の看護にあたつたから、一日当たり四五〇〇円、合計二六万一〇〇〇円を下らない付添費相当の損害を被つた。

エ 休業損害 一七〇〇万円

原告濱野は、本件事故当時、濱野基礎株式会社(以下、「濱野基礎」という。)の代表取締役をしていたものであるが、濱野基礎は、土木建築工事のうち基礎工事を業務とする会社で、原告濱野が昭和四九年にそれまで個人で営んでいたものを法人化したものであり、本件事故当時も、特殊免許を持つた六名の従業員を雇つていたほかには従業員はおらず、実質的には原告濱野の個人会社といつてもよい会社であつた。そして、原告濱野は、本件事故当時、濱野基礎から毎月一〇〇万円の給料を得ていたところ、本件事故により、本件事故日から昭和六二年八月一三日まで一七か月間、入通院のため全く就労できなかつた。そこで、右収入額を基礎にして、原告濱野の休業損害を計算すると、一七〇〇万円となる。

オ 後遺障害による逸失利益 五九二九万七四〇〇円

原告濱野は、本件事故に遭わなければ、症状固定時の五二歳から六七歳まで一五年間就労が可能であり、その間前記のとおり少なくとも毎月一〇〇万円の収入を得ることができるはずであつたところ、前記後遺障害によりその労働能力の四五パーセントを喪失した。そこで、右収入を基礎にホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して、右逸失利益の現価を計算すると、次のとおり五九二九万七四〇〇円となる。

(算式)

1,000,000円×12月×0.45×10.981=59,297,400円

カ 慰謝料 一〇〇四万円

キ 弁護士費用 八二〇万円

(2) 濱野基礎の損害

引上費用及び車両損害 二二五万円

本件事故により被害車が損傷し、被害車の引上費用及び車両損害として二二五万円を要した。

(3) 権利の承継

原告日産火災海上保険株式会社(以下、「原告日産火災」という。)は、昭和六〇年一月三一日、濱野基礎との間で、濱野基礎所有の被害車についての自動車保険契約を締結していたものであるところ、本件事故によつて損傷を受けた被害車の修理代金及び引上費用として前記金額を右自動車保険契約に基づいて濱野基礎に支払つたから、商法六六二条一項に基づき、濱野基礎が被告に対して有する損害賠償請求権を取得した。

(4) 原告日産火災の固有の損害

弁護士費用 二〇万円

4  損害の填補

原告濱野は、被告と自動車保険契約を締結していた住友海上火災保険株式会社から一三二五万七九六〇円、自動車損害賠償責任保険(以下、「自賠責保険」という。)から五八九万円、被告から治療費として四五万七九六〇円の合計一九六〇万五九二〇円の支払いを受けたので、原告濱野の損害に充当する。

よつて、被告に対し、本件事故による損害賠償として、原告濱野は、七五三三万三八六〇円及びこれに対する本件事故の日である昭和六一年三月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員、原告日産火災は、二四五万円及びこれに対する原告日産火災が濱野基礎に被害車の修理代金及び引上げ費用を支払つた日である昭和六一年六月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払いをそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(本件事故の発生)は認める。

2  同2(被告の責任)について

(一) (一)は認める。

(二) (二)のうち、加害車の速度が時速一〇〇キロメートル以上であつたことは否認し、その余は認める。

3(一)  同3(一)のうち、原告濱野の受傷内容は認めるが、その余は不知。

(二)  同3(二)はいずれも不知。

なお、原告濱野が濱野基礎から年間一二〇〇万円の役員報酬の支給を受けていたとしても、濱野基礎は、原告濱野の個人会社であつて、原告濱野は、自らの報酬額を自らが自由に決定していたものであるから、休業損害及び逸失利益の計算にあたつては、同人が本件事故当時濱野基礎から得ていた報酬額全額を基準にすべきではなく、取締役の報酬に当たる部分を控除した残額を基準にしなければならないところ、本件事故により原告濱野が退職した後、減少した役員報酬は年額四〇八万円にすぎないから、右額を基準にして休業損害及び逸失利益を計算すべきである。

4  同4(損害の填補)は認める。

三  抗弁(過失相殺)

本件事故は、本件交差点を直進した加害車と右折した被害車との衝突事故であり、原告濱野は、本件交差点を右折するに当たり、対向車線上を直進してくる車両の有無を十分確認して右折進行すべき義務があるのにこれを怠り、漫然と右折進行した過失があり、また、本件事故の際、原告濱野がシートベルトを着用していれば、原告濱野の症状はより軽傷で済んだものと考えられるところ、原告濱野は、これを着用していなかつた落ち度があるから、原告濱野の右過失ないし落ち度を考慮し、少なくとも六〇パーセントの過失相殺がなされるべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁は争う。

原告濱野は、右折の際、一二〇ないし一三〇メートル前方に南行車線を南進して来るタクシーを認めていたが、右距離があればタクシーが進行してくるまでに安全に右折できると思つて右折を開始したところ、加害車が時速一三〇キロメートルもの高速で右タクシーを追い抜いて進行してきたために本件事故が発生するに至つたもので、タクシーの後方から制限速度の三倍以上の時速一三〇キロメートル以上の高速度で進行してくる車両があるというようなことは到底予想し得なかつたから、原告濱野に過失があるとはいえない。

また、本件事故は、被告が著しい高速度で進行していたために発生したもので、シートベルトを着用することによつてどの程度原告濱野の障害が軽減したのか不明であるから、原告濱野がシートベルトを着用していなかつたことは過失相殺の対象とはなり得ないものである。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生)は当事者間に争いがない。

二  被告の責任

同2(被告の責任)は、加害車が、本件事故当時、時速一〇〇キロメートル以上で進行していたとの点を除き、当事者間に争いがない。

右争いのない事実によれば、被告は本件事故によつて生じた人的損害、物的損害のいずれをも賠償する責任がある。

三  損害

1  原告濱野の受傷内容、治療経過及び後遺障害

(一)  原告濱野の受傷内容

原告濱野が、本件事故により、脳挫傷、硬膜外・硬膜下血腫、頭蓋底骨折、下顎骨骨折、第七頸椎椎体骨折等の傷害を負つたことは当事者間に争いがない。

(二)  原告濱野の治療経過及び後遺障害

右争いのない事実に、原本の存在・成立に争いのない甲第一七ないし第二〇号証、第三二ないし第三五号証、成立について争いのない甲第四三、第四四号証、第四五号証の一ないし二〇、乙第一号証及び原告濱野本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 原告濱野は、受傷後直ちに大阪府立病院に入院し、入院時の意識レベルはⅠ群一〇程度であつたものの、意識は急速に改善して清明となつたので、頭蓋骨骨折に伴う頭蓋内感染症の防止を中心として保存的療法を受けていたが、事故後間もなく、両側外転神経麻痺、左顔面神経麻痺、難聴が出現したため、同病院の眼科及び耳鼻科で保存的療法を受ける一方、昭和六一年三月二五日には下顎骨骨折の観血的整復固定術を受けた。そして、第七頸椎椎体骨折については、不安定性なく、神経学的異常は特に認められなかつたことから、経過観察が続けられ、その間に、頭蓋内血腫はCT検査上において次第に吸収消失が確認された。

(2) 原告濱野は、昭和六一年五月二一日に大阪府立病院から越川整形外科病院に転院して、同病院において、神経ブロツク注射、神経幹内注射、持続索引等の治療及びリハビリテーシヨンを受け、同年八月二二日に同病院を退院し、退院後も同病院及び大阪府立病院に昭和六二年八月一三日まで通院を継続した。

(3) 大阪府立病院耳鼻咽頭科の長谷川医師は、昭和六二年八月二〇日付け後遺障害診断書により、原告濱野の傷病名は外傷性左顔面神経麻痺であり、他覚症状として、<1>左顔面神経麻痺、<2>両外転神経麻痺、<3>左眼の右方向への持続性自発眼振、<4>骨折による左頬部及び下顎部の変形及び開口障害、<5>両耳の混合性難聴の後遺障害が残存し、症状固定日は同月五日である旨診断しており、また、同病院眼科の坂口一之医師は、昭和六二年(月日不詳)作成の後遺障害診断書により、原告濱野の傷病名は頭部外傷、両外転神経麻痺、左顔面神経麻痺であり、他覚症状として、<1>両外転神経麻痺による両眼の著明な内斜視、両眼の外転完全不能(左角膜は半分以上内側部に陥没し、右眼も四〇度以上の内転位を示していた。)、<2>左顔面神経麻痺による閉眼不能、<3>視力障害(右裸眼〇・五、左裸眼〇・〇二で、いずれも矯正不能)の後遺障害が残存し、症状固定日は同年八月一三日である旨診断している。

さらに、原告濱野は、同年一〇月九日に同病院整形外科で、同月二七日には同病院脳外科でそれぞれ診察を受け、整形外科では同月九日付け後遺障害診断書により、自覚症状として背屈時に頸部痛が残り、他覚症状としては、レントゲン検査上、第六、第七頸椎前方に前縦靱帯内の骨化が認められる後遺障害が残存し、症状固定日は同日である旨、脳外科では同月二七日付け後遺障害診断書により、傷病名は、脳挫傷、頭蓋底骨折、急性硬膜外血腫で、自覚症状としては頭痛、他覚症状としては、右片麻痺、右半身感覚障害、右三叉神経、右顔面神経及び両側外転神経の障害の後遺障害が残存し、症状固定日は同日である旨それぞれ診断されている。

(4) 原告濱野は、その後、内斜視の症状の改善のために、湖崎眼科に通院して、同病院で外観の改善のための整形を主たる目的とする手術を受けたが、その結果、右眼外転不全が軽減し、同病院の湖崎弘医師は、右軽減後の原告の後遺障害について、平成元年一一月二二日付け後遺障害診断書により、傷病名は両眼外転神経麻痺及び左顔面神経麻痺であり、正面視と全方向の複視、正面視での顔面の右への回転、視力障害(右眼は矯正で〇・九、左眼は裸眼で〇・三、矯正で〇・五、但し、複視の症状のため、かえつて日常生活の困難性は高く、左眼視力は〇と判断すべきである。)の後遺障害が残存し、症状固定日は同日である旨診断している。

(5) また、多根記念眼科病院の坪井俊児医師及び葺石安利医師は、原告濱野の診察及び諸検査を行つた結果、平成二年六月二一日付け書面(鑑定事項に対する回答と題する書面)により、<1>視力は右眼が〇・五、左眼が〇・三で両眼とも矯正不能、<2>両眼とも外転障害があり、正面視で内斜視、<3>眼球運動障害のため眼の調節機能は、著明に低下している、<4>視野には異常はない、<5>左側に抹消性の顔面神経麻痺を認め、そのために左眼の閉眼障害と顔面の非対称性を生じているが、四肢の運動障害はない、<5>脳皮質及び脳幹部には異常はなく、脳波は正常であり、両側外転神経麻痺及び左顔面神経麻痺は、外傷による末梢性脳神経麻痺と考えられる、<6>視野は正常であるが、眼球運動障害のために頭位を固定した状態での視的認知領域は制限される旨診断している。

そして、原告濱野には、このような視力低下と内斜視、調節障害及び顔面神経麻痺による複視及び閉眼障害により、目が疲れやすくなつてすぐに充血し、涙も出やすく、頭痛も生じてくるため、長時間の読書等は困難であり、また、右顔面神経麻痺及び前記下顎部の変形により、左側の奥歯で食物が噛みにくく、食物が口からこぼれやすいというような日常生活上の支障生じており、右症状は既に固定している。

2  原告濱野の損害額

1(一)の争いのない事実及び同(二)で認定した事実を前提に、以下、損害額について検討する。

(一)  治療費 九七万二一四〇円

大阪府立病院及び越川整形外科病院に対する治療費として、四五万七九六〇円を要したことは当事者間に争いがなく、更に、前掲甲第四五号証の一ないし二〇及び前認定の事実によれば、前認定の湖崎眼科における手術等の治療(その結果、症状も改善した。)、のための費用として五一万四一八〇円を要したことが認められるから、本件事故と担当因果関係にある治療費としては、九七万二一四〇円と認めるのが相当である。

(二)  入院雑費 一九万七六〇〇円

前認定の原告濱野の治療経過によれば、原告濱野は大阪府立病院及び越川整形外科病院入院中の一五二日間に一日当たり一三〇〇円、合計一九万七六〇〇円を下らない雑費を要したものと認められる。

(二)  入院付添費 二六万一〇〇〇円

前認定の原告濱野の受傷内容、入院中の症状の経過及び程度に照らすと、原告濱野は前認定の入院期間中、付添看護の必要があつたものと認められるところ、原告濱野本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、右入院期間のうち越川整形外科病院入院中の五八日間については、原告濱野の近親者が毎日付添つて看護に当たつたことが認められるので、一日当たり四五〇〇円、合計二六万一〇〇〇円相当の損害を被つたものと認めるのが相当である。

(二)  休業損害 一三三六万一〇九五円

原本の存在・成立について争いのない甲第一五号証、第三六号証、成立に争いのない甲第三七ないし第三九号証及び原告濱野本人尋問の結果によれば、以下の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 原告濱野は、本件事故当時五二歳(昭和八年九月二四日生まれ)の男子で、昭和二四年三月に工業高校を卒業し、その後会社勤めなどをしたのち、昭和四七年四月に濱野基礎を設立し、同社の代表取締役に就任したものであるところ、濱野基礎は、土木建築工事の基礎工事の請負、施工等を業とする会社であり、本件事故当時、原告濱野及び同人の妻以外に一七人の従業員を擁し、五台の杭打ち機を所有してコンクリート杭及び鋼矢板の打設作業等を行つていた。

(2) 原告濱野は、濱野基礎の代表取締役として、取引先との営業活動や、工事現場での監督・指揮に携わつていたが、原告濱野の妻である濱野テル子(以下、「テル子」という。)も濱野基礎の取締役として、濱野基礎の経理事務を担当していたほか、事務所を不在にすることの多い原告濱野に代わつて事務所に常駐し、取引先との応対や電話による従業員への指示等も担当して原告濱野を補佐していた。

(3) 濱野基礎の昭和六〇年度(昭和六〇年四月一日から昭和六一年三月三一日まで、以下同じ。)の売上値引戻り高を控除した売上高は一億九二三一万六五一二円、売上原価控除後の売上総利益は三四六八万一二九九円、販売費及び一般管理費控除後の営業利益は三九四万八四七九円であり、また、濱野基礎は、役員報酬として、原告濱野に一二〇〇万円、テル子に四〇八万円を支払つていた。

(4) 原告濱野は、昭和六一年度に濱野基礎の代表取締役を辞職し、代わつてテル子が代表取締役に就任したが、テル子は、濱野基礎の従業員を減員し、杭打ち機を二台減らして濱野基礎の合理化を計り、濱野基礎設立当時からの従業員の協力も得て濱野基礎の営業を続けたところ、昭和六一年度は、好景気も影響し、売上値引戻り高を控除した売上高は一億九七六〇万〇三二四円、売上原価控除後の売上総利益は五六五七万二六三七円、販売費及び一般管理費控除後の営業利益は一一五一万九三六九円となつた。なお、濱野基礎は、同年度においては、役員報酬として、テル子に五四四万円、退職金として、原告濱野に二三四〇万円を支払つている。

(5) 濱野基礎の昭和六二年度の売上値引戻り高を控除した売上高は一億四〇一四万九四五〇円、売上原価控除後の売上総利益は二九五三万四一〇六円、販売費及び一般管理費控除後の営業利益は九二万二八四三円であり、また、濱野基礎は、役員報酬として、原告テル子に一二〇〇万円を支払つている。

右認定事実を前提にして、原告濱野の本件事故による休業損害を検討するのに、確かに本件事故のあつた昭和六〇年度には、原告濱野が濱野基礎から役員報酬として一二〇〇万円を得ていたことが認められるが、テル子及び濱野基礎の従業員の努力や好景気の影響があるにしても、原告濱野が濱野基礎を退職した後である昭和六一年度の濱野基礎の売上高、売上総利益及び営業利益がいずれも増額していることからすると、もともと、濱野基礎におけるテル子の役割は大きく、濱野基礎の企業収入に占める寄与度も大きかつたものと考えられるし、また、濱野基礎設立当初から培われてきた濱野基礎の物的設備、営業地盤、暖簾等が昭和六〇年ころまでに確たるものとして形成されていたと考えられることなどの事情を総合して勘案すると、原告濱野の本件事故当時における役員報酬の全てを労務の対価とみることはできず、原告濱野の休業損害算定の基礎となるべき労務の対価としての報酬として相当な額は、右一二〇〇万円の八割に相当する九六〇万円とみるのが相当である。

そうして、前認定の原告濱野の受傷内容及び治療経過によれば、原告濱野は入通院のために、事故日の翌日から少なくとも昭和六二年八月一三日まで五〇八日間休業を余儀無くされたものというべきであるから、前認定の労務の対価としての報酬額を基礎にして原告濱野の休業損害の額を計算すると、次の算式のとおり、一三三六万一〇九五円となる。

(算式)

9,600,000円÷365日×508日=13,361,095円

(五)  逸失利益 四三三二万三一二〇円

前認定の原告濱野の後遺障害の内容及び程度並びに(四)で認定した事実を併せ考慮すれば、原告濱野の後遺障害が軽快する可能性は低く、将来に渡つて継続するものと考えられ、また、原告濱野が、長年、濱野基礎の代表取締役をしてきた経営上の知識等を生かして、濱野基礎の代表取締役をしているテル子を補佐するというような形で稼働することが可能であるとしても、直接現場で計測等を行いながら作業員を指揮、監督するのは困難であると考えられることや、その他、本件事故当時五二歳という原告濱野の年齢等を考慮すると、原告濱野は、前認定の後遺障害により、昭和六二年八月一三日から就労可能な六七歳までの一四年間について、その労働能力の四五パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。

そこで、ホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して、原告濱野の後遺障害による逸失利益の本件事故当時の現価を計算すると、次のとおり、四三三二万三一二〇円となる。

(算式)

9,600,000円×0.45×(10.9808-0.9523)=43,323,120円

(六)  慰謝料 八五〇万円

前認定の原告濱野の受傷内容、治療経過、後遺障害の内容及び程度、その他本件証拠上認められる諸般の事情を考慮すると、本件事故によつて原告濱野が受けた精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料としては八五〇万円が相当である。

3  濱野基礎の損害額

成立に争いのない甲第四〇ないし第四二号証、被害車を撮影した写真であることについて当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨により本件事故後撮影したと認められる検乙第一ないし第一七号証、原告濱野本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被害車は本件事故により、全面大破等の損傷を負い、被害車の引上費用及び修理費用として二二五万円を要したことが認められる。

4  権利の承継

前掲甲第四〇ないし第四二号証、原告濱野本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告日産火災は、被害車の所有者である濱野基礎(但し、名義上の所有者は大阪トヨペツト株式会社)との間で被害車を被保険自動車とする自動車保険契約を締結していたので、右自動車保険契約に基づき、本件事故によつて損傷を受けた被害車の修理代金として、昭和六一年六月二八日、二二四万一五〇〇円を濱野基礎に、被害車の事故現場からの引上費用として、昭和六三年九月三日、八五〇〇円を大阪トヨペツト株式会社にそれぞれ支払つたことが認められ、右事実によれば、原告日産火災は、商法六六二条一項に基づき、濱野基礎が被告に対して有する前記3の損害賠償請求権を取得したものと認められる。

四  過失相殺

前掲甲第一五号証、原本の存在・成立に争いのない甲第一ないし第一四号証、第一六号証、第二一ないし第三一号証、前掲検乙第一ないし第一七号証、及び原告濱野本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  本件事故現場は、南北道路と東西道路(但し、本件事故現場の東側は東行の一方通行、西側は西行の一方通行となつている。)の交差する信号機による交通整理の行われている交差点内であり、右南北道路は、市街地を走る片側三車線(以下、歩道寄りの車線を「第一車線」、中央分離帯寄りの車線を「第三車線」、その間の車線を「第二車線」という。なお、南行の各車線の幅員は、第一車線が二・四メートル、第二車線が三・二メートル、第三車線が三・四メートルである。)のアスフアルト舗装道路で、南行車線と北行車線は中央分離帯で区分され、同分離帯上には比較的背丈の低い樹木が植樹されており、また、南北道路の最高速度は時速四〇キロメートルに規制されている。

なお、本件交差点には照明も設置されており、本件事故現場付近は明るい状態であつた。

2  被告は、友人宅からの帰宅のため加害車を運転し、南行車線の第二車線を時速約一〇〇キロメートルで走行して本件事故地点(被害車との衝突地点)の手前約一〇八・八メートル付近に差しかかつたとき、本件交差点のほぼ中央付近に北行車線から東西道路の東行一方通行道路へ右折するために一時停止している被害車と、加害車の約一四メートル前方の南行第二車線を南進中のタクシーを認めたが、加害車と同一方向を南進するタクシーもあることから、被害車はそのまま直進車である右タクシーの通過を待つて停止しているであろうと考え、第三車線に車線変更をして右タクシーを追い越し、本件事故地点の手前約五六・八メートル付近では本件交差点の対面信号が青色であることをも確認したので、そのまま第三車線を進行していたところ、本件事故地点の手前約三六・三メートルの地点で停止中の被害車が右折し始めるのを認め、衝突の危険を感じて左にハンドルを切るとともに急制動の措置を講じたが間に合わず、第二車線の延長上の本件交差点のほぼ中央付近で右折中の被害車の左前側面に加害車の右前部角が衝突した。右衝突後、加害車は南行車線の東側歩道沿いに設置されたブロツク塀に、被害車は本件交差点の南東角に設置された信号柱に、それぞれ正面衝突して停止した。また、本件事故により、加害車、被害車とも前部が大破したが、その変形は運転席にまでは及んでいなかつた。

なお、本件事故現場の路上には、加害車のスリツプ痕は印されていなかつた。

3  原告濱野は、帰宅のため被害車を運転し、南北道路を北進して本件事故現場に差しかかり、本件交差点で右折するために対面青信号に従つて本件交差点内に進入したが、中央分離帯に植樹された樹木のために南行車線の状況が見えにくかつたことから、中央分離帯の延長線上の交差点のほぼ中央付近で停止して南北車線の安全を確認した際には、車線を南進中の前記タクシーのみを前方約一二〇ないし一三〇メートルの地点に認め、右距離であればタクシーより先に右折できると考えて右折を開始し、被害車の車首が東に向き、第二車線の延長線上の本件交差点のほぼ中央付近まで進行したときに、前記のとおり、加害車に衝突された。なお、原告濱野は、加害車と衝突するまで加害車の存在に気付いていなかつた。

また、本件事故当時、原告濱野は、シートベルトを着用していなかつた。

なお、原告らは、本件事故現場に加害車のスリツプ痕が印されていなかつたことから、被告が衝突の危険を感じて急制動の措置を講じた地点から本件事故地点(衝突地点)までの距離である三六・三メートルが加害車の空走距離であるとし、これを根拠に、加害車の速度が時速一三〇キロメートル以上であつたと主張するが、加害車は、制動装置にアンチロツクブレーキシステムを装備して(前掲甲第三〇号証によつて認められる。)、急制動の際に車輪がロツクされるのを防ぎ、スリツプ痕が付きにくい構造になつていたのであるから、路面にスリツプ痕が印されていないことから直ちに、本件事故が空走距離内での衝突事故とまでいうことはできず、他に加害車の速度が時速一三〇キロメートルを超えていたことを認めるに足りる証拠はない。

また、原告濱野は、中央分離帯の延長線上の交差点のほぼ中央付近で一時停止し、さらに、南行車線の第三車線が見通せる地点まで被害車を進めてもう一度停止したと主張するところ、原告濱野本人尋問の結果中にはこれに副う供述部分があるが、捜査段階では、そのような説明をした事実はなく、かえつて、対向車両を十分確認できる位置まで来て対向車両の有無を確認すべきであつたと供述していることに照らすと、にわかに信用できず、原告らの右主張は採用できない。

右認定事実によれば、本件事故は、本件交差点内で右折のため一時停止中の被害車を認めながら、被害車が自車の通過を待つているであろうと軽信し、制限速度を時速六〇キロメートルも超えた時速約一〇〇キロメートルの高速度で進行した被告の過失によつて発生したものというべきであるが、地方、原告濱野もまた、交差点を右折する際には直進車の進路を妨害してはならない義務があるのに、南行車線の安全確認が十分でなく、南行車線を南進中の加害車に気付かずに右折し、加害車の進路を妨害した過失があつたというべきであり、また、本件事故当時は道路交通法上、未だ自動車の運転者にシートベルトの着用が義務付けられてはいなかつたものの、被害車が信号柱に正面から衝突して停止したが、その変形は運転席には及んでいないという本件事故の態様、原告濱野の受傷内容からすると、右受傷は衝突そのものによつて生じたというよりは、衝突の反動により運転席内のどこかに頭部を打ちつけたことによつて生じたものと考えられるから、原告濱野がシートベルトを着用していれば、相当程度、損害の拡大を防止できたことは明らかであるところ(前掲甲第三〇号証によれば、被告はシートベルトを着用していたので、比較的軽い傷害にとどまつていることが認められる。)、原告濱野はこれを着用していなかつたものである。したがつて、被告の賠償すべき額を定めるに当たつては、原告濱野の右過失ないし落ち度を斟酌して、前認定の損害賠償から四五パーセントを減ずるのが相当である。

五  損益相殺

請求原因4(損害の填補)は、当事者間に争いがなく、過失相殺後の原告濱野の損害額(三六六三万八二二五円)から控除すると、一七〇三万二三〇五円となる。

六  弁護士費用 一五〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告らは原告ら訴訟代理人に本件訴訟の提起及び追行を委任し、担当額の費用及び報酬を支払い、又は支払いの約束をしているものと認められるところ、本件事案の内容、審理経過、結果等に照らすと、本件事故と相当因果関係に立つ損害として賠償を求めうる弁護士費用は、原告濱野について一五〇万円と認めるのが相当である。

なお、原告日産火災は、固有損害として弁護士費用を請求しているが、原告日産火災は、濱野基礎との自動車保険契約に基づいて保険金を支払い、そのことによつて濱野基礎が被告に対して有していた被害車の引上費用及び修理費用に関わる損害賠償請求権を承継取得したものであるから、同原告が濱野基礎に支払つていない弁護士費用を請求することはできないものというべきである。

七  結論

以上の次第で、原告らの本訴請求は、被告に対して、原告濱野は一八五三万二三〇五円及びこれに対する本件事故の日である昭和六一年三月二三日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金、原告日産火災は、一二三万七五〇〇円及び内金一二三万二八二五円については原告日産火災が右金額を濱野基礎に支払つた日の翌日である同年六月二九日から、内金四六七五円については原告日産火災が右金額を大阪トヨペツト株式会社に支払つた日の翌日である同六三年九月四日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条及び九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、注文のとおり判決する。

(裁判官 笠井昇 松井英隆 永谷典雄)

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